カリメロについて

 
■カリメロについて
「カリメロ」はイタリアの漫画家、ニーノ・パゴット(Nino Pagot/1908-1972)とトニー・パゴット(Tony Pagot/1921-2001)の兄弟によって1963年に作られたキャラクターで、当初は「AVA」という洗剤のTVコマーシャルに使うために生み出されました。それが人気になったため、その後アニメーションが作られたということです。イタリアでは、子供が寝る前に見る番組として、夜9時から毎晩放映されていたそうです。
日本版の「カリメロ」は、その作品を練り直し、東映動画によって制作されたアニメーションということになります。1974年(昭和49年)10月から1975年(昭和50年)9月にかけてNET(現テレビ朝日)で1回に2話ずつ、全45回90話が放映されました。ただし1つの話を前・後編に分けて1回で放映したケースが6回あるので、実質のエピソード数は84話となります。
1992年には新シリーズが制作、放映されましたが、そちらは本サイトでは取り上げていません。
 

 

■アニメーション・データ
放映期間
1974年10月15日-1975年9月30日(途中2回分の再放送を含む)
放映時間
毎週火曜日 19:30-20:00(1回-20回)
毎週火曜日 19:00-19:30(21回-45回)
放映局
 NET
形式

15分2話
回数
45回90話
原作
ニーノ・パゴット、トニー・パゴット
連載
小学館の学習雑誌
企画
関根光致子(K&S)
企画協力
山田太一
NETプロデューサー
後藤武彦
監修
矢吹公郎
脚本
よしだたけし、井出隆久、広瀬浜吉、かがみおさむ、水口寛友、なかくらまゆこ、水谷範子、桂真左喜、春山貴由
チーフディレクター
芹川有吾
演出
芹川有吾、宮崎一哉、田宮武、永樹凡人、小田克也、山吉康夫
キャラクター監修
高橋信也
作画監督
 永樹凡人、菊池城二、小田克也
作画
 「田政吉、神永光臣 ほか
美術監督
 千葉秀雄
美術
下川忠海、秦秀信、千葉秀雄、伊藤岩光
背景
呉膺一、植木孝 ほか
撮影
金田顕一、金子周司
編集
千蔵豊
音楽
木下忠司
音響ディレクター
本田保則
録音
小久保正雄、神原広巳 ほか
効果
石田サウンドプロ
制作協力
東映動画、博報堂
制作
NET、K&S

オープニング曲
「ぼくはカリメロ」
作詞/よしだたけし
作曲/木下忠司
うた/山崎リナ

エンディング曲
「好きなのプリシラ」
作詞/山田太一
作曲/木下忠司
うた/山崎リナ

「この顔だぁれ?」
作詞/よしだたけし
作曲/木下忠司
うた/山崎リナ


参考資料/懐かしのミュージッククリップ32 カリメロ

 

 
■私とカリメロ
管理人個人のカリメロとの関わりです。興味のない方は読み飛ばしてください。

こういったサイトを作るのですから当然ではありますが、「カリメロ」は最も好きなアニメーションです。もちろん1974年の放映当時は見ていました。その頃は「カリメロ」に限らず様々なTVアニメを見ていたわけですが、「カリメロ」は好きな作品ではあったものの、他のどれよりもお気に入りというほどではありませんでした。カリメロの絵が入ったTシャツを着ていた覚えはありますが、たとえば絵本や主題歌のレコードを買ったりということなどはなく、単に好きなアニメの1つにすぎなかったのです。
それが変わったのは、本放送から10年以上経ってからです。はっきりした時期は覚えていませんが(たぶん1980年代中盤)、テレビ東京で再放送がありました。その頃は、もう「カリメロ」を見るような年齢ではなくなっていましたが、懐かしさも手伝ってちょっと見てみました。するとこれがおもしろく、十分楽しめる内容だったのです。長いブランクがあったにもかかわらず、いくつかのエピソードははっきりと記憶に残っていたのにも驚きました。この再放送を見て、すっかり「カリメロ」が気に入ってしまったのです。しかしそのとき見られたのは、ほんの数回分のみ。きちんとした形で、もう一度まとめて見たいと思っていました。

そう願いつつもその機会は訪れなかったのですが、1991年になってテレビ埼玉で放送が始まったのです!私の住居は東京なので本来ならテレビ埼玉は映らないのですが、VHFのアンテナが付いていたので(「カリメロ」のために付けたわけではありませんが)、視聴可能でした。ついに念願叶って、「カリメロ」をじっくり楽しむことができました(もちろん録画も行ないました)。
しかし、この放送には問題がありました。4月スタートの午後6時からの放送ということで、プロ野球中継と重なり、休止することが度々あったのです。月曜〜金曜の帯放送でしたが、見られたり見られなかったりで、スッキリしませんでした。また、あとから知ったことですが、なぜか放映の順番がオリジナルとは異なっていました。最初の放映が第88話の<さようなら落ち葉くん>でしたし、本来の第1話である<バザーは大成功>が放映されたのは20回以上放映を重ねてからでした。1話完結のスタイルなので順番が入れ替わっていても大きな支障はないのですが、できればオリジナル通りで見たかったです。
しかし最も問題だったのは、すべてのエピソードを放映してくれなかったことでしょう。野球中継で休止になったのが響いたのかは定かではありませんが、いくつかの未放映分を残したまま10月に突如終了してしまいました。と、このようにあやふやな放映ではありましたが、ある程度まとまった形で「カリメロ」を見ることができ、私にとっては意義のあるものでした。

「カリメロ」の魅力はいろいろとありますが、一番の魅力は、ほのぼのとしたあの素朴な雰囲気でしょう。イタリア生まれのキャラクターということからか、舞台はヨーロッパのどこかの国の片田舎のようなところ。小さな町があり、そこから少し離れると草原や川、森、山があるというのどかなムードが心を癒してくれます。
もちろん、キャラクターの魅力も外せません。ドジで間抜けだけど、負けず嫌いで頑張り屋のカリメロ、わがままだけどかわいくて、時折やさしさも見せるプリシラ、いじめっ子だけど、寂しがり屋のところもあるピーター・・・。すべてのキャラクターは鳥をはじめとした動物の擬人化であるため、とても個性的です。中でも、真っ黒の身体にタマゴの殻の帽子をかぶったカリメロのキャラクターディザインは、アニメーション史上屈指のものだと私は思っています。

インターネットが普及し始め、私も利用するようになったのですが、「カリメロ」に関するサイトが見当たらないのは不満でした(なべねこさんの「カリメロパーク」も公式サイトもまだありませんでした)。それなら私自身で作ってしまおうと考えたのですが、前述のようにすべてのエピソードを見られなかった(=録画できなかった)ので資料的に不完全だということで躊躇していたのと、ほかに作りたいサイトもあったので、そちらに力を注いでしまいました。
1998年にCSの「ホームドラマチャンネル」で「カリメロ」の放映があり、全作品を揃えられるチャンスがありましたが、それを知ったときにはすでにかなり放映が進んでしまっており、またCSを視聴するためのシステムも持っていなかったため、あきらめざるを得ませんでした。
しかしCSでの放映という形態を知り、もしかしたら再びチャンスがあるかも・・・ということで、それを待つことにしました。そして2001年、「ファミリー劇場」で放映されることを知ったのです。チューナーとアンテナを揃え、今度は全話録画することができました。もちろんオリジナルの順番通りでしたし、テレビ埼玉版では見られなかった次回予告が入っていたのもうれしかったですね。
これでついに資料も揃い、WEBサイトの制作に取り掛かろうと思ったのですが、なかなか時間が取れず、ここまで延びてしまいました。

なお「カリメロ」には、1992年〜1993年に放映された新シリーズがあります。新たな「カリメロ」ということで期待して見たのですが、旧作とはあまりに異なる世界観で、別の作品のようでした。旧作を知らなければ楽しめたかもしれませんが、思い入れのある作品だけに馴染むことができず、途中で見るのをやめてしまいました。
 

 
■脚本の井手隆久様より
脚本を何本か書かれた井手隆久様より掲示板に書き込みをいただきました。「カリメロ」制作に関する当時の貴重なお話を伺うことができましたので、こちらに転載させていただきます。
元の書き込みはこちらになります。



はじめまして、井手隆久と申します。
今月「カリメロ」の3度目のリメイクが放映されるということで、検索したらこちらにたどり着きました。
こんなに熱く「カリメロ」を語っておられる方々がいらっしゃるのに驚きました。
特に1974年版に愛着をお持ちなようで、そこにも驚きました。

実は私は1974年版「カリメロ」の脚本を書いていた者です。
関係者の一人として、皆様のご愛顧にお礼を申し上げつつ、当時の状況を少し語れればと思い書き込む次第です。

ご存知のように「カリメロ」はイタリアの漫画で、イタリアでは誰もが知っている人気キャラクターということで日本に紹介されました。
しかし、イタリア版アニメ「カリメロ」は一話が3分程度のショートムービーで、そのスタイルは日本ではうけないだろと思えました。

そこで、若干の「日本ナイズ」をせねばなりませんでした。
最初にそのことにあたったのは、今では巨匠脚本家となられた山田太一氏でした。
山田太一氏は原作を換骨奪胎し、カリメロという幼い子供が荒野をさすらい、様々な人に出会って成長して行くという物語を構想しました。毎週30分の放送ですが、例えば「世界名作劇場」のような感じで長いお話を提供出来ないかと考えたわけです。

しかし、その構想はイタリアの原作者との交渉がうまくいかず、頓挫しました。もし実っていれば現在我々が思い出にしている「カリメロ」とは違うものが出来ていたかも知れません。

1974年版「カリメロ」は日本放映と同時にイタリアでも放映されることがすでに決まっていましたので、日本側の思惑だけで進めるわけには行かず、必ずイタリアの原作者との交渉をしてからでないと脚本を書くことは出来ませんでした。

山田さんは監修という立場になられ、私を含めた数人が1クール全部を手分けして書くということになりました。とにかく時間がありませんでした。 各自が思いついたストーリーをイタリアに送り、原作者とのご合意が得られた分から書き進めました。

掲示板に「プリシラの家は何処にある?」という疑問が出されていましたが、設定の細かな部分で一貫性がないというのはそういう事情で、大雑把な設定の確認のみで、みんな一斉に書き初めていたためそういうことが起きました。

アニメは東映動画が担いましたが、彩色の部分を外国に下請けに出したので、要請した通りの彩色にならなかったりして、直しが何度も必要で、進行は混乱しました。
当時外国に下請けに出すなどということは先駆的なことでしたが、運の悪いことに、その国と政治的なトラブルが発生し、国交断絶も起きかねない状況が発生しました。
進行が遅れるどころか、セル画が戻って来ないかも知れないという試練を「カリメロ」はくぐらねばならなくなったのです。

まあ、日本の首相があまり強硬な手段をとらなかったので、国交断絶にはならず、セル画は戻り、なんとかオンエアにこぎつけ我々はホッとしました。

「カリメロ」はとても好評で、確実に視聴率は上がり続け、下がることは一度もありませんでした。そして当時としては珍しく、男の子にも女の子にも人気があり、すぐに2クール目の放送が決定しました。

2クール目に入った時、火曜日の放送というのは変わらなかったのですが、放送時間の変更があったと思います。30分ほどずれました。
この時異変が起きます。

順風満帆、右肩上がりの視聴率で来た「カリメロ」ですが、2クール目で裏番組に強力なアニメが登場します。
その為、視聴率はガクンと落ちます。

それほど裏番組は強力でした。

裏番組は、実は再放送で、レギュラー放送は日曜日の夕方でしたが、あまりの人気故に火曜日も再放送をしようという編成が当時組まれたのでした。
「カリメロ」は幼いお子様には圧倒的人気があったのですが、結局視聴率的には報われず、3クール目は作られませんでした。

日曜日の夕方に放送されている高視聴率アニメといえば、もうお分かりだと思いますが、現在も放送中の「サザエさん」です。
さすがは「サザエさん」、再放送でも大変な視聴率をはじき出し「カリメロ」は吹っ飛ばされたわけです。

「サザエさん」に負けない番組として育て上げられなかったスタッフの一人としては残念な気持ちです。

1974年版は短い放送期間でしたが、こんなに思い出を持った方々がおられて、嬉しい限りです。
ちなみに、私が書いたお話は下記タイトルです。

「遅刻戦争」
「呪われたママ」
「インチキ大地震」
「ジャ、ジャ、ジャンチャ」
「大スター、カリメロ」
「ちょっと残念」
「幻の百点」
「ゆうかい魔現わる」
「ペンダント騒動」
「パパごめんね」
「しんせつな一日」
「世にも不思議な出来事」
「ボビのハンバーガー」
「肩こりこりこり」
「さよならプリシラ」
「刑事カリメロ」
「ピーターの謎」

不出来な作品群ですが、ひとつでも思い出に残っておられれば嬉しく思います。
「呪われたママ」はトラウマが残りそうな作品とどなたかおっしゃっておられましたが、幼いお子様には申し訳なく思っております。

でも、若かった私はああいうものを書きたくて仕方なかったのです。
「ママはどうして僕のことを愛しているんだろう?」(呪われたママ)
「パパとママが離婚したら僕はどうなるのだろう?」(ちょっと残念)
「僕には秘密がない。どうしたら作れるの?」(ジャ、ジャ、ジャンチャ)
「肩こりのひどいママ。でも、幼い僕には肩こりを治せる力がない」(肩こりこりこり)
といったような具合で、当時としては子供向きのアニメでそんなこと書いていいのかと危惧された内容でしたが、プロデューサーや監修の山田太一さんが守ってくれました。

3回目のリメイクが放送されるということで、久しぶりに当時のことを思い出しました。
そして今も熱く語っておられる皆様のことを知り、嬉しく思いました。

(尚、作品名とライター名が一致しないとの苦情があったと掲示板にありましたが、その通りです。Wikipediaの情報が相当にいい加減なので仕方ないと思います。)



以上です。
今まで知ることのできなかったエピソードがいくつかあり、とても興味深い内容でした。
掲示板への書き込み、また本ページへの転載許可をいただき、ありがとうございました。
なお、2001年のファミリー劇場での放送はオープニングと本編の映像が一致していなかったとの情報もいただきましたので、この放送を情報元としていたエピソードリスト掲載のスタッフ情報は確定情報のみの掲載としました。
 


Home